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嘉永6年 (1853年)
(社会) ペリー来航 日米和親条約締結
函館が開港【資料①】
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安政5年 (1858年)
(社会)日米修好通商条約締結
新潟・神奈川・兵庫・長崎が開港【資料①】
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明治2年 (1869年)
パリ外国宣教会プティジャン司教、函館教会のアルンブリュステル神父に新潟の状況調査を命じる
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明治4年4月1日 (1871年)
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明治4年4月24日 (1871年)
" 4月24日から25日にかけての夜に、新潟県お雇教師の英国人キング氏が、 何者かに斬りつけられたという事件が起こり、同時に、同年1月に名古屋藩の牢から脱走した浦上キリシタンの1人、市郎右衛門に対する探索の手ものびて来ていて、布教活動はほとんどできなかった。"
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明治8年9月 (1875年)
エヴラール神父、横浜へ転任
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明治8年10月 (1875年)
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1876年 - 洗礼台帳
ドルワール・ド・レゼ
U. フォーリー
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明治9年3月22日 (1876年)
新発田地方に宣教始める。
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明治9年4月15日 (1876年)
新潟で最初の受洗者が生まれる。
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明治9年5月25日 (1876年)
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明治9年 春ごろ (1876年)
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明治10年9月 (1877年)
テュルパン神父が来潟する。
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1877年 - 洗礼台帳
テュルパン
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1877年
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1878年 - 洗礼台帳
L. シュッテ
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1879年 - 洗礼台帳
ヴィグルー
ムガブル
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1881年 - 洗礼台帳
J. バレット
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1882年 - 洗礼台帳
クレマン
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明治15年8月28日 (1882年)
ドルワール神父、大畑にある現の新潟教会の所在地を50年間の契約で借りることに成功する。
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明治18年9月 (1885年)
ルマレシャル神父、聖パウロ修道女会を招致して、教育事業や慈善事業を興すことに着手する。
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1884年 - 洗礼台帳
ド・ノェーユ
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1885年 - 洗礼台帳
J. ルマレシャル
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明治20年 (1887年)
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1886年 - 洗礼台帳
A. コシェリー
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1887年 - 洗礼台帳
Ed. ラピノ
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1888年 - 洗礼台帳
S. プティボワ
Eug. クリスマン
D. ルコント
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1890年 - 洗礼台帳
Ph. ベルジェ
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1892年 - 洗礼台帳
H. アンリ・リスパル
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1893年 - 洗礼台帳
H. デフレン
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1895年 - 洗礼台帳
R. マトン
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1898年 - 洗礼台帳
アレクス (函館司教)
アルフレド・ウット
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明治33年 (1900年)
このころに新潟に在住していた修道女は約10名で、明道小学校の生徒も、 孤児院に収容されている者 (寄宿生を含む)も、それぞれ5、60名を数えた。
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1901年 - 洗礼台帳
J. ブソオ
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1902年 - 洗礼台帳
マリオン
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1906年 - 洗礼台帳
A. ブルトン