「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。(マタ 11:25)」これはイエスの祈りです。たとえ人間には失敗と思えるような出来事の中であっても、そこで神の意志が実現しているならば、イエスはそのことをご存じなのです。イエスは人間的な考えによってではなく、ご自身の祈りの中で見出した神の眼差しによって、私たちを見つめて下さいます。
「父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。(マタ 11:27)」と書かれています。「子が示そうと思う者」と言ったイエスの思いは、まず「幼子のような者」に向けられているのではないでしょうか。27節は祈りの言葉そのものというよりも、祈りの中でイエスが見出した確信だと言えるでしょう。
そして28-30節はその確信に基づいたイエスから私たちへの呼びかけです。 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」 現代に生きる私たちがどれほどこの言葉を必要としていることでしょうか。現代人の多くは疲れています。ただ単に肉体を休ませたいというよりは、心からほっとしたいのです。(翻訳: Lêさん)